>>20 現実問題として、ネットに両論があることは、ほとんど意味を成していません。
ネットはネットで、同じ趣向の人を繋げようとする仕組みが存在するからです。
例えば、YouTubeで何かの動画を見ると、その関連動画をどんどん勧めてきます。
SNSでは、何かに「いいね」すると、同様にそれを「いいね」する人たちが好む
書き込みやコミュニティーを勧められます。
つまり、どんどん一つの偏った方向に誘導されていきます。
また、Facebookなどの閉鎖的コミュニティーの存在も大きいです。
実社会ではなかなか集まれないような極端な意見を持つ人々が、
簡単に集うことが可能となりました。
このようなSNSの仕組みによって、その人は何の意図をしていなくても、
気がつけばとても偏った意見を持つ人に囲まれて、毎日毎日、
極端な意見を見せられてしまいます。
そうすると最終的に、普通の人から見ればかなりおかしな情報でも、
当たり前の真実だと信じこんでしまいます。
さらには、それを否定する人々が「事実をねじ曲げようとする悪い人」
にさえ見えてきます。
一度偏った方向にいくと、修正される機会は得難いです。
閉鎖的コミュニティーでは、「そんなのはありえない、嘘だ」と、
疑問を呈する人が出てきても、それを狂信的に信じている人の集団ですので、
その人を袋叩きにして、結局コミュニティーからはじき出してしまいます。
修正される機会は得られず、どんどん極端になっていきます。
極端な思想を持つ人は、どの時代にもいたわけですが、
昔は今ほど数が多くありませんでした。
なぜなら、エコーチェンバー現象に陥るような環境に入る機会や
環境が限られていたからです。
実社会の関係がメインであった時代に狂信的になるには、
過激派のアジトに入って、同じ思想の人と共同生活などまでする
必要がありました。
しかし、現代のネット社会では違います。
電車で毎日スマホをみているだけで、あるいは自室でパソコンを何気なく見ているだけで、
平凡なサラリーマンや主婦や学生が、とても偏った意見を持つ集団の中にどっぷりと
取り込まれてしまう時代になったのです。
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