戦前に存在した「28道府県」構想


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001 2025/06/27(金) 21:04:51 ID:hTjM...fTQ
消されかけた日本地図…実は戦前に存在した『28道府県』構想がヤバすぎた!

実は明治時代末期、政府が本気で日本の府県を統廃合しようとしていた
「28道府県構想(府県廃置法律案)」が存在していたのです。
あなたのふるさとも、地図上から消えていたかもしれません…この幻の計画、
詳しく知るとゾッとするほど綿密に練られていました。

1903年(明治36年)、当時の内務省がまとめた「府県廃置法律案」。
これは日本を現在の47都道府県ではなく、28の道府県にまで再編するという計画でした。
近代国家としての行政効率化や財政の健全化を理由に、「交通網の発達に合わせて、
より広域の自治体を作ろう」という発想から生まれた構想です。

この法案が成立していれば、19の県が完全に姿を消す予定でした。
岩手、山形、群馬、茨城、埼玉、山梨、富山、福井、岐阜、静岡、
滋賀、奈良、和歌山、鳥取、山口、徳島、佐賀、大分、宮崎
また、宮城県が「仙台県」に、愛知県が「名古屋県」にといったように、名前が変わる県もありました。
内務省は各地域の地理的・経済的・交通的・歴史的背景まで考慮して、実に綿密な設計をしていました。

なぜ消滅しなかったのか?
当時、法案はすでに1904年4月施行予定とされ、閣議決定まで進んでいました。
しかし、これに猛反発したのが廃止予定となった県の人々です。
和歌山県や山形県などでは、市長や商工会議所、新聞、代議士が連携して「県の消滅を阻止しよう」
と立ち上がり、運動は全国に波及していきました。特に和歌山市では、「大阪に編入されれば県庁が遠くなり、
経済的損失も甚大になる」として、自治やアイデンティティを守る激しい声があがったのです。

さらに、事態を大きく変えたのが1904年2月に起こった日露戦争の勃発でした。
政局の混乱と軍事優先のため、府県統合法案は議会に提出されることなく、
事実上「幻の構想」となったのです。

近年では「道州制」や「市町村合併」などが再び話題になりますが、そのたびに思い出すべきは、
私たち一人ひとりのふるさとの価値と、そこに住む人々の声なのです。
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