太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、阿久根市折口の海岸付近に不時着し、海に沈んだままだった旧日本海
軍の戦闘機「紫電改」が8日、81年ぶりに引き揚げられた。2連の機銃が付いた両翼とエンジン部分などで、出水市
の米ノ津港に運ばれた。
出水市のNPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」(肥本英輔会長)が2024年から現地調査や資金調達を
進めてきた。同市で1年以上かけて塩分を抜き、展示を目指す。
引き揚げられた紫電改は1945年4月21日、林喜重大尉(神奈川県出身、戦死後に少佐)が海軍第一国分基
地(霧島市)を飛び立ち出水上空で交戦後、不時着した。
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紫電改は沖合約200メートル、満潮時の水深約4メートルの海底に沈んでいた。この日までに地元建設会社やボラ
ンティア参加の潜水士、岡申一さん(58)=大阪府=らが、機体を覆っている砂を掘り起こしたり主翼の下にパイプ
を敷いたりして準備を進めてきた。
作業は、満潮を迎える午前10時すぎに開始。クレーン台船で慎重に引き揚げを試みたが、想定以上に重量があり一
時中断した。午後2時半ごろに再開し、約12メートルの両翼が海面に現れた。
浜辺には関係者や地元住民が多く集まり、大きな拍手が起きた。アウトドアのガイドを務める同市折口の津崎信乃
さん(49)は客の求めに応じ、これまでに何度かカヤックで紫電改のそばへ案内した。「失礼にならないよう酒をさ
さげ、海面からのぞきこんだ。いつも見守られている気がしていた。今後もここにあったことを伝えていく」と語った。
亡き祖父が林喜重大尉の部下だったという江嶋香さん(47)=熊本県八代市=は「思っていたよりも原形をとどめ
ていて驚いた。おじいちゃんが乗っていたものと同じ戦闘機だと、写真を子どもに見せたい」と話した。
地元住民には複雑な思いもある。林大尉の慰霊碑をよく訪れるという男性(82)は「小さいころから紫電改のこと
は聞いていた。この海からなくなるのは寂しい」と惜しむ。
NPO法人「北薩の戦争遺産を後世に遺す会」の肥本英輔代表(71)は「両翼からは紫電改本来の強い姿を感じ
る。全国からの支援と引き揚げに協力してくれた関係者のおかげ。遺産として、多くの人に見てもらえるようにしたい」
と述べた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/989c2a3971aba3e25b847...
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