1980年代、バブル景気はどう生まれ、どう弾けたのか


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001 2023/07/01(土) 17:02:09 ID:KhWxongRnk
 週末の夜ともなれば街に人が溢れ、ディスコのお立ち台ではボディコン姿のうら若き女性が扇子を片手に激しく踊る。
それを取り巻くようにフロアにひしめく無数の男たち──バブル華やかなりし頃、東京をはじめとする盛り場でお馴染みだった光景だ。

 深夜、決まって繰り広げられるのは、タクシーの争奪戦。都心では万札を掲げて手を振りながら、タクシーを止めようとする
サラリーマンの姿も珍しくなかった。

 誰もが、好景気に浮かれる時代だった。

 当時は企業収益も給料も大幅上昇が続き、個人消費が活発で、GDPも4%の成長を記録。「明日は今日よりも豊かになる」
との自信が列島に満ち、「山手線内の土地の値段で米国全土が買える」とまでいわれた“カネ持ち日本”の宴だった。

 そんなバブル景気はなぜ始まったのか。マーケットアナリストの平野憲一氏(ケイ・アセット代表)が言う。

「バブルの直前、1985年のプラザ合意でドル安政策が決まると急激な円高が進行し、輸出の落ち込みから日本は不況に陥りました。
そこで、政府・日銀は大規模金融緩和を始めますが、急な資金需要は起きず、市中に溢れた資金は株や土地に大量に流れた。
そこで発生したのが資産バブルです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/8967282861575d270c8cc...

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002 2023/07/01(土) 17:11:18 ID:Tfr73PQzS6
結論:日本の全てはアメリカの為にある。

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003 2023/07/01(土) 17:33:57 ID:o1DYiB7Bvo
バルブ景気のときに流行っていたデスコはジュリアナではない
泡が弾けたあとに
世の中の景気動向がわからず浮かれ気分でロックンロールで
おどってたアーパーな女たち 

     バルブ景気はマハラジャだと思う あとラジャコート
      スクエワービル 

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004 2023/07/01(土) 17:42:14 ID:o1DYiB7Bvo
コロナ前は量的緩和バブル
東京オリンピック前も建設バブル
ここ数か月も物価高 資源高 エネルギー高 人件費高
人手不足 ある意味バブル

東京都内は資産バブル ユーチューブも数年前はバブル

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005 2023/07/01(土) 18:12:21 ID:ib4khYWkWs
いろんなモノやサービスが実態価格より根拠が曖昧な状況で過度に高額に評価されて循環していたってだけのこと。

現状でも不動産の取引価格は該当すると思う。
その土地の土の価格ではないし、高額で取引されている土地と低価格で取引されている
土地との違いは成分的にはない。

その土地の価格というよりも周辺環境や周りの土地の取引価格が考慮して価格が決められている。
高額な土地を利用して営業すると利益が上がる場合もあれば反映されない場合もある。

弾けるのは簡単で、関係者が一斉に冷静で、合理的になったってだけのこと。

問題なのは弾けた後の処理で、日本の処理方法は最悪だったと思う。
他の国での経済的なバブルは起きているけど、経済原則(ルール)に従って、
責任を回避させずに処理をしているので、経済原則(ルール)が曲げられずに、右肩上がりの
成長が持続できている。

このルールを曲げたことで、日本は失われた〜年に突入して、左肩上がりの
経済になっている。

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006 2023/07/02(日) 21:48:32 ID:4HG7Ss1U5E
>>1
バブル期のディスコで扇子は使わない

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