「弘輝はほんとにラーメンが好きで、よく食べ歩いたりしてました。高校を出てからしばらくはたしか貴金属やブランド品の買い取りをする会社でサラリーマンをしていたんですが、その後に横浜家系の有名なラーメン店で数年間、修行をして独立した感じです。彼には僕と同い年の兄がいて、幼いころからお揃いの服を着たり、家族ぐるみで旅行に出かけるような関係でした」
「昭仁は、ちょっと欠けているようなところが見受けられるタイプではありました。結婚式で親戚が久しぶりに一堂に会したときには、みんなで挨拶したり、おめでとうと言い合ったりしますよね。ところが昭仁は、そういうときでも平気で本を読んでいたと僕の母親から聞いたことがあります」
「職にも就かずフラフラしていたところを、弘輝の母親が『だったら店をやらないか』と声をかけたと聞いています。開業後すぐではなく、少し経ってからだったと思います」
「僕が工事に来ているときには二人から仲が悪そうな雰囲気を感じたことはありませんでした。弘輝からも『味に変わりがないかチェックしてほしい』と頼まれたので、その後も月1回くらいは店に行ってましたけど、弘輝が昭仁についての愚痴を漏らしたこともなかったです」
「まあ、この一等地でやってるし、安さも売りでやってましたし。実家が製麺所というアドバンテージはあったでしょう、この味を作るには500円じゃとても無理だというのは食べればわかりますから。ただ、いつも500円だったわけじゃなくて、『新規のお客さんを獲得するためにセールをしている』と言ってました。材料もすごくこだわっていて、チャーシューを作る機械も何百万円もするのを入れていましたし、そういう努力の中で1杯500円を絞り出していたんで」
「3店舗から5店舗くらいは出したいと言ってましたね。いずれは昭仁に店舗を任せるつもりがあったかどうかまでは聞いてませんが、弘輝本人は『俺もいつまでもキッチンに立てないから、なるべくチェーンにして味を継いで欲しい』と夢を語っていました」
「弘輝は性格上、(注意するときも)冗談半分じゃないですけど、スキンシップを図りながら『ちゃんとやってくれよー』っていうタイプだったと思います。愛情は絶対持ってます。気前がいいというか、彼のことを身近に知る人間として、そういうような怨みを買う人間ではなかったと思ってます。
昭仁についても悪い印象はなかったので、疑いながらもどこかで『昭仁じゃないでしょ』とも思ってました。弘輝の母親が見に来たときに昭仁がいなかったのは間違いない証拠なんで、逮捕のニュースを見て『やっぱりな』と思ってしまいました」
「今日、改めて手を合わせて、どうしてきいちゃん(弘輝)が殺されなきゃいけなかったんだろうという悔しさが一番ですね。僕の母も兄弟もずっと『なんできいちゃんなんだろうね』ってずっとそんな感じだったんで。うちの母なんかはずっと息子のように可愛がってたんで今も気が動転しています」
https://news.yahoo.co.jp/articles/093326279df6b434cf64d...
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