沖縄戦の集団自決、逃げ場のない島で起きた地獄絵図
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001 2024/08/15(木) 14:12:57 ID:VMUHGmyJ1g
太平洋戦争末期の1945年3月27日、沖縄県の渡嘉敷島(渡嘉敷村)に米軍が上陸した。渡嘉敷島は沖縄戦で最初に戦火に巻き込まれた慶良間諸島の一つ。逃げ場のない島でパニック状態に陥った住民は「集団自決」に追い込まれた。くわを振り上げ、妻や子を手にかける男たち。当時11歳の少女だった大城静子さん(91)は目の前で息絶えた母の横で、死んだふりをして生き延びた。首の付け根にはその時に付いた傷跡が今も残る。「血みどろで、まるで地獄絵図のようだった。戦争は嫌だ」。現在暮らしている沖縄県糸満市の一軒家で、79年前の惨劇を証言した。
▽助けてくれるはずの日本兵から、手りゅう弾を渡された
のどかな島の空気が一変したのは45年3月27日。大城さんの家族は米軍が上陸したことを聞き、北部の北山と呼ばれる日本軍の陣地に避難することになった。防衛隊の任務で不在だった父を除く家族9人で午後9時ごろ、家を出た。
このとき、集落の約半数は残る決断をしたという。そしてその人たちは、集団自決に追い込まれなかった。大城さんは振り返る。「今思えば、この時の決断が生きるか死ぬかの分かれ道だった」。道中で腹を壊して別行動を取った祖父も助かった。
大城さんらは米軍に見つかることを避けるため、道ではなく山を流れる川の中を歩いた。「兵隊さんのとこまで行けば助かるさ」。不安に押しつぶされそうになりながらも、家族どうしで声をかけ合った。
3時間ほどで北山に着いた。しかし、日本兵は「ここは軍の陣地だから入れられない」と陣地の裏側の山を登るよう住民に促した。そして「米兵は女を強姦し、男も首を切って捨てる。その前に自分らでやれ」と言うと、逃げてきた住民に手りゅう弾を手渡した。
▽集団自決
28日の明け方、木々の生い茂る山中の広場に100人ほどが集まった。日本兵もいた。手りゅう弾は5発。大人が円陣を組み、その中に子どもたちを入れて逃げられないようにした。そして覚悟を決めて信管を抜いたものの、爆発しなかった。
すると、大人たちは火薬を食べて死のうと言いだした。弾のふたを開けると、中はチョコレートのような見た目をした青色の火薬が詰まっていた。母が「食べて」と言って口に入れてきたが、甘くない。まずくて、すぐに吐き出した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/865e3a973cb5e1366e3c5...
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002 2024/08/15(木) 14:28:56 ID:RtflcY0ztU
今の政権下での憲法改正は非常に危険です!
自民党の独裁憲法
https://kaikensouan.com/
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003 2024/08/15(木) 14:35:15 ID:RtflcY0ztU
今の政権下での憲法改正は非常に危険です!
自民党の独裁憲法
https://kaikensouan.com/
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004 2024/08/15(木) 15:27:56 ID:OT8kn9/kUY
小さい女の子が死んだふりして生き延びたって鬼平犯科帳の見すぎだろ。
よくもこんなのを毎年載せるな
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005 2024/08/15(木) 15:34:13 ID:C4BDD1vMAU
006 2024/08/15(木) 16:06:15 ID:w3YMcDqBwA
沖縄の人以外の人の疎開先が沖縄へ島々なのかな
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007 2024/08/15(木) 16:07:36 ID:6snM.KkNEE
今こそ日本は、心から謝罪すべきなのではないだろうか・・・・。
今こそ日本人は、過去の過ちを心から謝罪すべきなのではないだろうか・・・・。
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008 2024/08/15(木) 17:42:37 ID:ZZAVwR/7Bc
この手の話はまともに取り合っても仕方ないんだが
祖父母の話からするとあの時代、敵の手にかかる前の自決と言うのはまぁわかる。しかし途中からの手榴弾云々の話は胡散臭い
赤松大尉主人公の「ある神話の背景」を読んだ事があるんだが
そもそも陣地は全くできていなく夜中砲撃の最中タバコの火を頼りに陣地予定地に素手でタコツボを掘っていて住民はおろか兵隊がどこにいるかもわからん状況だったとのこと
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