太平洋戦争中、硫黄島の周辺では零戦に乗った多くの搭乗員が戦死しています。
Cさんは自分が見た“零戦”は「この世に存在するものではない」と認識していますが、
当時の事をあらためて振り返ると自分も通常とは違う状態に入っていた気がするそうです。
F-4戦闘機にはCさんのほかにもう1人、航法などを担当するナビゲーターが搭乗していたのですがー。
元F-4戦闘機パイロット Cさん
「“零戦”を見たんですけど、それについて後ろ(ナビゲーター)と話した記憶がないんです。
普段はよく会話するんだけど、後席が騒いだ記憶がない。今思えば異次元に入っているような、不思議な感覚です」
訓練を終えて硫黄島に着陸した後、Cさんは一緒にフライトした人たちに確認しましたがー。
元F-4戦闘機パイロット Cさん
「“いたよね”と話をしたんですがみんなに流されたんです。ひょっとするとあれは私の幻想だったのかもと思うときもあります。でも、見たという記憶は確かにあるんです」
この零戦の目撃談を民俗学者の市東さんはどのように解釈するのか、筆者は興味がありました。市東さんは一般論と断った上で。
民俗学者 市東真一さん
「自衛官が扱う装備品はジェット戦闘機や戦車、護衛艦など大型のものが多いうえに爆薬やミサイルなどもあり、
扱いを間違えば死に直結します。さらにいざという時には敵と戦うことが任務になります。常日頃から死というものを意識せざるをえず、
一般の人たちよりも生死の境に近いのだと考えます。実戦を想定した訓練という特殊な環境や心理状態から、Cさんは心の内にあるものが目の前に現れたと認識したのかもしれません」
零戦を目撃した当時の心理状態をCさんはこう振り返ります。
元F-4戦闘機パイロット Cさん
「あの頃は四六時中、空中戦で勝つことだけを考えていました。訓練でいかに相手パイロットを陥れてマウントをとるのか、それだけです。
ひたすら訓練を重ねていたので、パイロットとしての感覚ががんがんに研ぎ澄まされていました。ですので零戦を見た時は、
全然違う空間に入ったような感じがしたんです。ひょっとすると、あのまま訓練に入っていたら事故に至っていたのかもしれません」
研ぎ澄まされた感覚が異変を感知して、零戦を出現させることで事故を回避した。記者はそう解釈しましたが、みなさんはいかがでしょうか。
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