マリアナ沖海戦、大海空戦を戦った先人たちに感謝と敬意を


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001 2024/08/30(金) 18:31:37 ID:4ts0hSONFI
来年の「終戦80年」を前に、本年は激戦続きの昭和19(1944)年から80年という節目となる。日本軍は快進撃を続けた開戦当初から戦局が転換した後も、順当に負け続けたわけではなく、米軍も必死であった。「日本軍はよく戦った」という観点で向き合う機会が少ないのは、戦争自体を否定するような戦後思潮と無縁ではなかろう。

19年6月15日、米軍が圧倒的な兵力でサイパン島へ上陸した。同島を奪われれば、帝都・東京が敵の空襲圏内に入るため、日本海軍は機動部隊(=空母を中心に編制された部隊)を主力とする第一機動艦隊で決戦を挑んだ。

そもそも、世界史上、空母決戦を行えたのは日本と米国のみである。南太平洋海戦はガダルカナル島をめぐる戦いで、米空母を撃沈してミッドウェー海戦の雪辱も果たしたが、艦載機と熟練搭乗員の消耗激しく、機動部隊の再建に1年半の月日を要した。

マリアナ沖海戦に参加した日本空母は、それまでで最多の9隻(艦載機439機)。米国側は15隻(891機)で、「史上最大の空母決戦」となった。

本海戦で日本海軍は、空母3隻などを失い惨敗した。戦力差に加え、艦載機搭乗員の練度の差や、米国側の新兵器がその要因とされる。

空母「瑞鶴」の戦闘機(零戦)隊で、6月19日に第一次攻撃隊を護衛した藤本速雄氏(故人)は「敵機動部隊上空まで後30分ほどの所で、敵F6F戦闘機の大群が上方から襲い掛かってきました。味方の爆撃機・雷撃機はほとんど撃ち落されて、海面に燃料の油紋がずーっと続いてるありさまで…」「翌日、『瑞鶴』に帰還すると、私も既に戦死扱い。でも、自分たちの練度がそこまで敵に劣っていたとは思いません、真珠湾攻撃だって初陣の搭乗員がたくさんいましたから」と話してくれた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c76f34b98c0f921f7db85...

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006 2024/08/31(土) 14:01:41 ID:jaWXddxPxQ
そもそも日王とその一族及びそのとりまきの、どす黒い欲望のためだけに、アジアの同胞を殺戮し力による現状変更を行ったことに原因がある。
日王とその一族及びすべての日本国民は、その国が存在する限り、アジアの同胞に対し謝罪と賠償をし続ける必要がある。

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