
これを安全に回避するためには、長く生きてDNAが傷ついた個体は、
そのDNAを個体ごと抹消するシステムを作っておけば良いわけです。
つまり、再生系と非再生系の体細胞のどちらにも、
「一定の期間が経つと死ねるプログラム」を書き込んでおけば、
遣伝的荷重による種の絶滅を防げます。
こうして、様々な個体の遺伝子をシャッフルすることによる「多様性」
(一斉絶滅回避策)」と「進化のスピード」(ウイルスの変異への対抗策)
を得た代わりに、“寿命”がプログラムされて、生殖を終えた個体は
いずれ死ぬことが運命づけられてしまったのです。
それが二倍体細胞生物にとっては種の存続のために不可欠なシステムであるとはいえ、
それぞれの個体にとっては死ぬことは本意ではなく、どこまで行っても悲劇でしかありません。
誰もが生まれついての死刑囚であるという残酷な現実。
有性生殖においては、同じ遺伝子の組成をもった個体は二度と生まれてきません。
私たちひとりひとりが、唯一無二のかけがえのない存在なのです。
それなのに、期限が来たら否応なく消去されてしまうとは…。
殊に、生物の中でも ―― これも種の存続のための戦略として ――
「爪」や「牙」ではなく「知能」を発達させたヒトの場合、その代償として、
やがて自分に訪れる死を認識し、苦悩したり虚無感を覚えたりするように
なってしまいました。
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