韓国こそ茶道の起源。その証拠に「日本には茶道という地名はない」
韓国茶道なるものの昔の形式を探したのですが、資料も伝承も何もなかったので、裏千家の大茶会を見て閃いたというのです。資料が何もないのは、そもそも韓国には茶道がなかったからですが、「なかった」とは考えないようです。
日本人が「韓国の茶道なるもの」を見ると、「日本からパクった」と思うのは当然のことです。本当にパクったものだからです。
裏千家の作法の中に、韓国茶道なるものを勝手に見い出して、それを「あった」としている点はスゴイとしかいいようがありません。
妄想ここに極まれり、です。
韓国の皆さんが日本の京都を見て「百済がここにある!」と言うのとそっくりです。何もないので日本にあるものを自分のものだと主張するしかないのです。
「朝鮮半島に茶道があり我々が日本に伝えたのだ」という噴飯物の主張を補完するために、さらに愚かな主張をしている人もいらっしゃいます。しかもそれが、底の浅いウソだとばれた例です。
同じく松本先生の著作から引いてみます。
茶道研究家金明培は、日本には茶道という地名はないが、韓国には茶道面(村)があり、この唯一無二の地名が韓国茶道の悠久の歴史を代弁していると書いている。
しかし、この村は一九一四年に茶庄面と道川面が合併して生まれたもので、茶道とは何の関係もない。
引用される朝鮮の茶文献も中国茶書の引き写しで、こんなものしか挙げられないのは、要するにほかに何もないからである。
韓国茶道の悠久の歴史を代弁する証拠、などと大上段に振りかぶった「茶道村」は、実は併合後の1914年に2つの村が合併してできた村名だったのです。
図らずも、これこそ悠久の歴史などこれっぽっちもない証拠といえるでしょう。読者の皆さんも韓国茶道などという話を信じないでください。ウソですから。
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