よく、過酷な労働状態に置かれているにもかかわらず、
「忙しいのにも慣れちゃったよ」などと言う人がいるが、
これは「慣れた」のではなく、「感じなくなっている」だけで、
「慣れた」と思っている時ほど、危険な状態なのだ。
私にも、「見張り番が疲弊していたのかもしれない」という経験がある。
ある時期、1日の睡眠時間がしばらくの間、3~4時間だったことがある。
最初の頃は、あまりの眠さに電車で何度も寝過ごしてしまったり、
起きるのがつらかったり、気がつくと机にうつ伏せになっていた。
なのに「目覚ましをかけずに寝続ける」勇気もなければ、「今日は休もう!」
とオフ日を作る勇気もなかった。
「やらなきゃ」という強迫観念が強すぎて、休むことに勝手に罪悪感を覚え、
“泳ぎ続けた”。
ところが、いつの間にかそんな苦しさがなくなった。
睡眠時間が3~4時間でも平気になったのである。
「人間って、どんな過酷な状況も慣れるんだよね。人間ってなんでも結構出来ちゃうものなんだよ」
…などと平然と、そして少しだけ自慢げに、友人に語っていたのであるが、
今考えればあの頃はただ、「疲れている」と自覚できていなかっただけだと思う。
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