東條英機はなぜ「日本必敗」と知りながら日米開戦したのか
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001 2025/08/18(月) 10:50:17 ID:y/fQ7d8cyc
猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』がドラマになり、今夜NHKで放送されるという。ドラマにコメントするのも無粋だが、この本の歴史書としての評価は高くない。
あらすじは総力戦研究所が出した「日本必敗」という机上演習の結論を東條英機首相が無視して日米戦争に突入したという話である。しかし総力戦研究所は研究機関ではなく、若い軍人・文官の教育機関で、戦力で日本が勝てないことは、当時の陸海軍(机上演習の教官)には既知の事実だった。
●陸軍は日米開戦に反対だった
むしろ謎は、戦力に大きな差があることを知りながら、なぜ東條は勝機があると考えたのかである。この点について陸軍(武藤章軍務局長)は開戦に反対したが、参謀本部(田中新一作戦部長)は強硬策を主張し、激しく対立していた。
軍事の常識では、政府機関である軍が参謀本部の作戦を指揮するのであってその逆ではないが、日本では統帥権の独立によって参謀本部が天皇に独自に上奏できる制度になっていたため、両者は同格で争った。
両者を統率する近衛文麿首相も日本必敗であることは知っており、1941年9月6日の御前会議で日米開戦の方針が決まったあとも抵抗したが、東條に押し切られた。10月12日の荻窪会談のやりとりは有名である。
【東條】 統帥は国務の圏外にある。総理が決心しても統帥部[参謀本部]との意見が合わなければ不可なり。総理が決心しても、陸軍大臣としては之に盲従はできない。
【近衛】 今どちらかでやれと言はれれば、外交でやると言はざるを得ず。戦争は私は自信ない。自信ある人にやって貰わねばならぬ。
【東條】 これは意外だ。戦争に自信がないとは何ですか。それは国策遂行要領を決定する[御前会議の]ときに論ずべき問題でしょう。
東條は徹底した前例主義で、内閣と参謀本部が共同で天皇に開戦撤回を上奏しない限り、軍は従わないと主張した。天皇の下に多くの組織がバラバラに並び、指揮系統がない日本型組織の欠陥が露呈し、近衛は開戦を目前にして辞任する。
●参謀本部の戦略には日米戦争がなかった
参謀本部はどういう戦略を考えていたのだろうか。帝国国策遂行要領で田中新一は「南方戦争を先行させ、自給自足体制を固め、アジアにおける対英米優位の地位を確保した上で北方戦争に乗り出し、この間に国際政局の変化に乗じて支那戦争を解決する」という戦略を描いていたが、そこには驚いたことに日米戦争がなかった。
以下ソース
https://agora-web.jp/archives/250816035530.htm...
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002 2025/08/18(月) 12:02:04 ID:pWmNDOjg3.
早期講和を念頭に、その駆け引きの材料として、短期間の大暴れを考えたものと
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003 2025/08/18(月) 12:05:19 ID:6tbc8wKmFE

🕵️♂️ ゾルゲ事件の概要
発覚時期:1941年(昭和16年)
中心人物:
リヒャルト・ゾルゲ:ドイツ大使館記者を装いながら、ソ連の諜報員として活動。コードネームは「ラムゼイ」。
尾崎秀実:元朝日新聞記者で、近衛文麿内閣のブレーン。ソ連に政治・軍事情報を提供
📰 尾崎秀実と朝日新聞
1926年に朝日新聞社に入社し、社会部記者として活動。
上海支局勤務時代に中国共産党関係者やアグネス・スメドレーと交流。
その後、ゾルゲと接触し、ゾルゲ諜報団の一員として活動を開始。
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004 2025/08/18(月) 12:13:49 ID:6tbc8wKmFE

🧠 尾崎の思想と動機
少年期の台湾での差別体験や、学生時代の社会主義者弾圧事件(甘粕事件など)を通じて、共産主義思想に傾倒。
マルクスやレーニンの著作を愛読し、理想主義的な「アジア解放」や「平和的共存」を志向。
スパイ活動は「戦争回避のため」と供述しており、信念に基づいた政治活動家として再評価される動きもある。
⚖️ 事件の結末と影響
1941年に逮捕され、1944年に大逆罪で死刑(絞首刑)に処される。
ゾルゲ事件は日本の治安体制強化の契機となり、戦時体制の一環として大きな影響を与えた。
近年では、尾崎の行動が「戦争を導いた」か「止めようとした」かについて議論が続いている。
尾崎のように、報道機関に所属しながら国家の中枢に入り込んだ人物がスパイ活動を行ったという事実は、情報の力とその危うさを象徴しています。
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005 2025/08/18(月) 12:46:17 ID:q/94YxYnx.
当時のマスコミの影響力は今と比べて絶大なもので
交戦支持には逆らえなかったのだと思う。
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006 2025/08/18(月) 12:46:54 ID:CjH41CYC7s

気合と根性何でも鉄拳や実力行使でしたがわせ最後は神国であるからと精神論だけで何とかなると思ってた何かに憑りつかれた
蛮行好きな軍部であったのが日本の不幸の始まり…
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007 2025/08/18(月) 13:35:22 ID:TN6sjpwz8Y
9月の時点で東條は真珠湾計画なんぞまったく知らんかったやろ 陸軍は伝統的に北進一択 石油止められて仕方なく南進 太平洋なんぞ考えてもなかったのに五十六、永野に騙されたんよ
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008 2025/08/18(月) 13:49:39 ID:NvBk.hnyi6
イラクじゃないが
どっちにしても殺されるんだから
戦争するしか無いわな
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009 2025/08/18(月) 22:12:48 ID:y/fQ7d8cyc
日本の真珠湾攻撃のきっかけとなったのが
アメリカによる「全侵略国(日本含む)に対する」石油禁輸(1941年8月1日)
あの頃のアメリカには敵ながら天晴れなカッコ良さがあった
それに比べて今のトランプ政権ときたら…
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