戦国時代は「草の者」ようは忍者だね
それらが敵対勢力の出陣を察知して知らせて、それに呼応して出陣する。
よって川中島のように必然的に双方が出会ってしまう、というか双方から
ほど良い距離にあって何度も合戦上になってしまうような場所が存在した。
更に遡ると鎌倉時代までは「ある程度の」合戦にも不文律があって
古代~中世ヨーロッパの「ファランクス」のように互いが陣形を揃えて
せーのっ!で合戦していたのだが治承・寿永の乱あたりから作法を知らない
板東武者、つまりは関東人だね。
彼らは京都の雅な都人とは程遠い野蛮な人達だったから作法もなにもなく
何をしても勝てばよいという人達だった。
作法もなにもない野蛮な行為は枚挙に暇がないけれど好例は船に乗っての
海戦では非戦闘員である水主(船を操作する非戦闘員)には手を掛けない
が暗黙の了解だったのだが板東武者は、まず水主から狙い撃ちにした。
それで船は制御不能になり・・・と、しかし治承・寿永の乱でも関西の武者は
終ぞ相手方の水主には手を掛けず敗退していった。
その後、南北朝時代に入っても「熱した糞尿を掛ける」など板東武者は
作法もないもない野蛮な戦い方を続けたから強かった。
江戸時代に至るまで雅を尊ぶ関西の武者と作法を知らない関東武者という構図は続く。
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