日本人初のジャンボ機長は元・零戦搭乗員 真珠湾攻撃にも
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001 2024/05/17(金) 17:07:21 ID:OFSknJVMc.
晴れて日航に入社し、パイロットへ
昭和27年10月、仮採用として日航に入社した藤田は、郵政省の航空級無線士の資格をとり、続いて運輸省の三等航空通信士の資格をとった。
11月、本採用となると、無線士の資格で飛行機に乗務するようになる。パイロットはいまだ全員がアメリカ人である。
「なまじ英語がわかるばかりに、彼らが日本人の悪口を言うのを黙って聞いている、屈辱の日々でした」
やがて、日本人もパイロットとしての訓練が始まる。昭和29(1954)年5月、藤田は運輸省の定期運送用操縦士の技能証明を取得。
ダグラスDC-4の副操縦士となった。
「副操縦士としてアメリカ人の操縦を観察したのは興味深い経験でした。彼らの見張り能力が低いことは、戦闘機出身の私にとって
もっとも気になるところでした。上空で、ほかの飛行機を発見するのにも、私と彼らとでは3秒以上の差がある。
これはもし空戦なら――そんなこと言ってもはじまりませんが――致命的な遅れです。
当時のわれわれ日本人操縦士は、副操縦士ではありますが、自分の飛行機を飛ばせているという気概があった。
戦争を生き残った猛者がほとんどでしたから、機長の調子が悪いと見るや、自分が操縦桿を握ることもありましたよ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/16a5c6704e4437de353e1...
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005 2024/05/19(日) 03:44:08 ID:KU.ZKTwRjg
真珠湾攻撃から終戦まで生き残るって何人もいないだろ
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