ひとたび戦争が始まると、国家は子どもたちをも武器に変えます。当時、大人たちはどのようにして軍国少年・少女を作り上げていったのでしょうか。
■軍国主義は教室を支配 教室では戦争遂行のために鍛錬する子どもの姿
大木秀生さん
「校庭の場所は昔のままです。正面に木造の校舎があったけど、横浜大空襲の火災で無くなっちゃいました」
横浜市に住む大木秀生さん(91)は、かつて通っていた西前小学校に来ると、80年前の校長の言葉がよみがえってくる。
校長
「諸君は戦争に勝った方がいいか、負けた方がいいか、勝った方がいいと思う者は手を挙げ!」
「戦争は是が非でも勝たなければなりません!今こそ、少国民我らは立つのだ!」
1944年、横浜市にある西前国民学校で撮影された記録映画。そのタイトルは「戦ふ少国民」。
飛行兵になるための訓練や手旗信号など、戦争遂行のために鍛錬する子どもたちの日常が描かれている。
1年生の授業の様子
先生「天皇陛下バンザイ!」
子ども「バンザーイバンザーイ」
映画に出演したとき、大木さんは国民学校の5年生で、11歳だった。
大木さん
「例えば、天皇の名前を、神武、綏靖、安寧…とずっと120何代か言わされる。途中で間違えると、ぶん殴られる」
映画の中では、教師がアメリカ軍の戦闘機の音を流し、機種を当てさせる授業もあった。
4年生の授業
先生「この音はなんだ?木村」
生徒「カーチスホークP40であります」
映画の製作を指導したのは当時、国の機関だった軍事保護院。撮影台本の中には製作意図が記されていた。
「兵隊さんありがとうなる精神」、そして「君の御為に散華した軍神神兵のあとをわれらまた追いて征かん」との決意。そうした戦う少国民の姿を描くことが「軍人援護精神の昂揚」に役立つとある。
大木さん
「朝から晩まで戦争戦争。それ以外は考えられなかったのかな」
「中学校の入学試験は、特攻隊の名前を漢字で書けですから。たくさん書ければ書けるほど、合格率がよかった」
前田名誉教授
「自由主義も駄目、個人主義も駄目という形で、いろいろな価値観や考え方が封殺されていく。戦況がどんどん厳しくなってくるが、負けるわけにいかない。そうして、更なる高揚を求める。そのときに、ある種、狂信的なところにまで行くが、他の考え方を全部排除しているので、そこに行くしかないという所まで陥ってしまう。一つの価値しか認めないという危うさ。死ぬための教育は、教育のまさに逆転現象ですよね」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c27b6bac7bde38910d7b2...
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