>>13 相変もわらず風評飛ばしまくってんな東京デマ新聞
はぁ?100年が何だって?
まだ神宮「内苑」の方と錯誤させようと糞みてぇな印象操作やってんのかよ
そんな周回遅れの見破られた手口に今さら誰が引っかかるかよ
見物の念仏@nenbtunotetsuさんのX投稿
https://x.com/nenbtunotetsu/status/180752156... 1998年に刊行された「明治神宮外苑七十年誌」には、樹木に関する記述がところどころに見られる。
《戦前、神宮外苑には約4万5,000本の樹木が茂っていた。戦災で5,000本が焼かれたが、昭和45年頃には、外苑内を通行する自動車が急速に増えたことによる環境の悪化で、さらに3万本に減少した》P.209-210
戦災については、5/25〜26の空襲で
《絵画館付近から中央広場の東部軍陣地、野球場、競技場、相撲場などが焼夷弾によって被災するとともに、喬木・灌木合わせて5,700本余の樹木が甚大なる被害を受けた》
とある。(P.73)
同時に
《野球場南側の樹木は女子学習院の火災で、競技場西側の樹木は折からの西南烈風による火災に包まれ、それぞれ全滅した》
とも。(P.73)
戦後は
《昭和30年代に入っても、神宮外苑の諸設備は、心ない人々によって破壊されたり盗難の被害が相次いだ。外苑のシンボルである灌木、芝生、花壇なども、その例外ではなかった。
戦前には、つつじ、ライラック、八つ手などの低木が約1万本あったが、子供たちに踏み荒らされるなどして、
満足なものが一本もないようなありさまであった》
昭和36年には
《同年6月、安保反対の全学連集会が絵画館前で行われるのを前に、花壇の周囲に鉄柵を設置した》(p.137)
なお創建時については
《もともと練兵場であった外苑は、樹木のほとんどない広漠地で、欅、銀杏、榎などの巨木が点在していた》
植樹については
《樹木総数3万4,497本で、内訳は敷地在来木(連絡道路敷含む)1,242本、内苑よりの分植木1万308本、外苑献木3,190本、購入木1万9,757本であった》P.36
というわけで、神宮外苑に100年前に植えられた木の三分の一くらいは、ロッシェル・カップさんの出身国の軍隊に燃やされたり、市民に踏み荒らされたりして滅んだので、今の木の全てが「100年間大事に守り育てられてきた」というわけでもなくて、折々に諸事情で植え替えられてきた、ということらしい。
ちなみに神宮球場は1945年5月25-26日の空襲で《三塁側スタンドを貫いた焼夷弾が、その下の格納物資(配給用薪炭、衣料品、その他の軍需物資)に引火して大火災を起こし、球場は廃墟と化した》とあるので、今の球場を「ベーブ・ルースがプレーした球場だから貴重」とする主張にはかなりの無理がある。
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