都庁、加古川、南港…相次ぐストリートピアノ騒動に
共通するのは、公共の場への視点の欠如
きっかけは、あるXユーザー男性による投稿です。
投稿内容だけでは一連の経緯や詳しい事実関係は確認できませんが、
男性は都庁のストリートピアノ「都庁おもいでピアノ」を演奏した際、
ピアノのそばで大声を出す集団に我慢がならず、目線を投げかけた
と訴えています。演奏の妨げになるほどの声量で、都庁の職員も
注意するほどだったそう。
この訴えに対する反応はさまざまでした。
「そこにいる人たちはピアノを聴きに来た人たちばかりではない
「こういう勘違いをしている人がいるからストリートピアノは嫌いなんだ」
といった辛辣な意見の一方で、
「職員が注意するくらいなんだから仕方ない」と投稿主に同情する声もありました。
投稿主の義憤も理解できるし、それも含めて「ストリートだろう」という反論にも一理ある。
2023年、兵庫県のJR加古川駅では長時間の占有や大音量での演奏などルール違反が絶えず、
わずか半年でピアノが撤去された。2025年には大阪市の大型商業施設内に設置された
「南港ストリートピアノ」で、運営側が「練習は家でしてほしい」と利用者に注意喚起
したことがSNSで物議を醸し、最終的に撤去される事態に。そして、都庁でのトラブルが
ここに加わった格好です。
腕自慢と未熟さ。一見すると両者は真逆に思われますが、いずれも他者の目が存在
していないことは同じです。技術を見せびらかすのも、納得いくまで練習したいのも、
根底にあるのは、公共の場をどうとらえるかという視点の不在だからです。
だから日本のストリートピアノには見知らぬ他者との意外な交流が生むグルーヴが皆無なのです。
公共の場で自分の納得いかない環境で演奏ができなかったと不服を訴えることは、
果たして正当なことなのかという疑問も浮かんできます。
簡単にいうと、お互い様という観念のないところに、公共性はあり得るのかという話なのです。
それは、ピアノの上手い下手以上に、もっと大切な心掛けなのではないでしょうか。
記事全文は
https://joshi-spa.jp/142679...
返信する