東京大空襲から80年:わずか2時間半で9万5000人の命を奪った…
東京を焦土にした国際法違反の無差別爆撃「東京大空襲」の実像とは─80年前の3月10日
1945年3月10日未明、300機のB29が東京を襲った大空襲は、わずか2時間半弱で約9万5000人の
市民の命を奪った未曾有の無差別攻撃だった。下町一帯が一夜にして焦土と化したこの夜、
どのような地獄絵図が展開されたか。
■市民を対象とした国際法違反の無差別爆撃
昭和20年3月10日の未明、日本の首都である東京は、アメリカ軍による大規模な空襲に見舞われた。
主な攻撃目標とされたのは、本所や深川、浅草といった東京の下町一帯だった。それまでの空襲は
主に軍需工場を狙った精密爆撃であったが、それでは効果が不十分と見たアメリカ軍は、ついに
住宅密集地への無差別爆撃に踏み切ったのである。一般市民を対象とした爆撃は「国際法違反」であった。
超低空で東京の上空に入った約300機ものB29爆撃機は、約1700トンもの焼夷弾を投下。アメリカ軍は
数種類の焼夷弾を使用したが、日本の木造家屋を焼き払うために特別に開発した新兵器「M69焼夷弾」
も投入された。炸裂するとナパームが周囲に飛び散るこの新型焼夷弾によって、多くの無辜の命が奪われた。
死者数は約8万〜10万人にも達した。焼失家屋は約27万戸、約100万人が罹災したとされるが、あまりに
規模が大きいために詳細な数字は不明である。
この大空襲の指揮官だったカーチス・ルメイは、戦後にこう語っている。
「もし、われわれが負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸い、私は勝者の方に属していた」
だが、日本政府は昭和39年、このルメイに「航空自衛隊育成の功」として勲一等旭日大綬章を授与している。
このことに空襲の体験者や遺族は深く心を痛めた。
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